友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル (ちくま新書 710)
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友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル (ちくま新書 710)
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| ジャンル: | 本
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| セールスランク: | 2128 位
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| 発送可能時期: | 通常24時間以内に発送
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| 参考価格: | ¥ 756 (税込)
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つながりを求める若者達
プロフサイトやケータイ・メールにハマる若者達、自殺したネットアイドル、ネット集団自殺等の例を挙げ、 現代の若者に見られる、所謂「KY」が支配する世界の生きづらさを論じた本。
著者は社会学者であるが、北田氏、内田氏や宮台氏等の他の社会学者の著作も読んでいる方だとテーマ的に新鮮味に欠けると思われる。 よって星3つ。
何をもって・・・?
明らかなデータ不足。雑誌や新聞記事などをリソースにしていることの限界だとおもうが、そのことによって偏ったストーリーになっていないか。三流エッセイストの適当な書き物ならともかく、「社会学者」としての本領を発揮してもらいたい。
著者はこの本の出版の社会的効果をどう考えたのか?
この著作は、現代の若者の心理をきわめて的確に分析しているのは、よくわかります。しかし、著者は何のために,この本を出版したのでしょうか?わたしは、この本の社会的効果は、こころが激しく傷つき、さまざまな手段でやっと傷が塞がりかけた人の、傷口を、わざともう一辺切り裂いて、あなたの傷はこんなに深かったのですよ、と見たくもないものを見せ、その後は、傷の手当をまったくせずに、まあ、これが、「生きづらさ」ってものなんですよ、と言って、微笑みながら、「じゃあ、わたしは、次の論文を書かねばなりませんから」と続けて言い、立ち去るような、行為を読者に対して、取ることではないか、と思える。著者は、なぜ、「癒し」を書けないのに、人の傷口を、開けるような社会的行為をするのか?この著作は、著述の知的レヴェルが高いので、未熟な読者は、直ちに、ポイントが飲み込めず、それでかろうじて影響を受けずに済むかもしれない。しかし、わたしは、早熟な、しかし、傷がやっと癒えかけた、若い読者がこれを読めば、この本の与える、深刻な影響は、計り知れないものがあると思う。癒せない人が、傷口をわざと切開するのは、何故なのか、わたしにはまったく理解できない。この著作は、傷を開く行為であり、癒す行為の逆を、見せびらかしている。わたしは、読者の中から、犠牲者のでることを、恐れる。学術的行為がしたいのなら、学会発表や、学術論文に留めておけばよいのではないか?なぜ、新書という形で発表したのか?それは、病理学教室の建物の中でするべき解剖を、わざわざ、渋谷の交差点のど真ん中で、やって見せているようなものである。著者とちくま書房の社会的責任は、大きい。
現代特有の”生きづらさ”の核に迫る
前作の名著『個性を煽られる子どもたち』の視点をさらに拡大し、若者に起きているコミュニケーションの変容を多面的に捉えながら、現代日本の”生きづらさ”の原因を分析する。著者によれば、子供や若者はコミュニケーション能力が低いのではなく、対立を避け、相手の内面に深入りせず、互いが傷つかないように細心の注意を払いながら、対人関係(氏の言う「優しい関係」)を生きている。ネットやケータイは、自分を傷つけない他者とだけ「親密圏」を築けるので、こうした「優しい関係」幻想を助長する。そして「優しい関係」への希求が強いからこそ、それを乱す「空気が読めない奴」が憎悪され「いじめ」られる。しかし、互いの内面に深入りしない「優しい関係」の裏で、我々の一人一人は、内心では「この自分を見てほしい」という他者からの承認を強く求めている。このギャップの大きさが、我々の孤独感と無力感を深めてゆく。そして現代の情報化社会では、自分はつねに他者と客観的に比較され、偏差値化・相対化され、one of themでしかないことが鮮明なので、誰も強い自己肯定感を持つことはできない。この傾向をさらに助長するのが、選択肢の増加は価値低下を齎すという逆説である。現代の豊かな社会が我々の選択の自由を増やし、人生の選択肢が広がるほど、その中で自分が選び取る行為や価値はone of themとして相対化され、色あせたものになる(p185)。魅力的な選択肢が他にも多く残されているならば、私が「この選択」に固執する理由もそれだけ弱くなるからだ。自由と幸福は必ずしも相伴しないという著者の分析は鋭い。
自分らしさを追求する生きにくさ
この本で筆者が論じる「地獄」とは、現代の若者特有の人間関係の様態の別名「優しい関係」である。当然ながら、きわめてアイロニカルな意味がこの言葉には込められているのであって、優しいといっても、本当は全然優しくないのである。
現代の若者は「あるがままの自分」「自分らしさ」を内面に探す。そんなもの本当にあるのかという問いをしないまま、彼らはまず「純粋な自分」という「幻想」に固執するのである。しかし、そんなもの簡単に見つかるはずはなく、結局自分がよくつるむ人間達にその「自分らしさ」の審級を丸投げすることになる。ここに自分らしさを追求するがあまりに、友人関係という外部評価に依存するという逆説が完成するのである。
そのような友人関係で、もっとも場を支配するのはかつての強者「番長」「ガキ大将」「いじめっ子」というような実体的な他人ではなく、無機質な場の空気感(ラカンなら大文字の他者と呼ぶだろう)になると筆者は論じる。その場の雰囲気こそがその場の絶対的なルールになるということである。
筆者によると、昨今のいじめによって自殺をした子ども達は、たしかな内的絶望(大げさに言えばイデオロギー的な敗北)を抱え込んだことによって死を選らばざるを得なかったというよりも、場の空気というルールに侵犯(KY)したが故に、「生の土俵」からはじき出される。ある意味ドライに死を選んでいるのである。
筆者はあとがきでミスチルのヒット曲「名もなき詩」(自分らしさの檻)を取り上げているが、今考えるとダブルミリオン達成した上、サビの1フレーズにもかかわらず、若者像についてあれほど含蓄のある歌詞が歌い上げられた作品も希かもしれない。
後半にいくほどやたら引用が多くなってきて、メディア論や社会学の先行研究を詳細に取り上げられているため、実は前半の教育現場の実情の方が目新しいかもしれない。これにはあとがきで筆者が明かしているとおり、初出がみな別の場所だったということも起因しているのだろう。多少堅苦しいが、それでもこの本の価値を貶めるほどのことではない。
筑摩書房
友だち幻想―人と人の〈つながり〉を考える (ちくまプリマー新書 (079)) ほんとはこわい「やさしさ社会」 (ちくまプリマー新書 74) 「個性」を煽られる子どもたち―親密圏の変容を考える (岩波ブックレット) 「家庭教育」の隘路―子育てに強迫される母親たち 若者論を疑え! (宝島社新書 265) (宝島社新書 (265))
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